Web Developer's Struggle Memories

日々の業務から思ったこと、学んだことを書き連ねていきます。

社会人歴5年経ったので振り返り

今年の3月で、社会人になって満5年になりましたので、振り返りをしたいと思います。あくまで社会人としての振り返りですので、エンジニア人生の振り返りではございません。(とは言っても、仕事柄ほぼ同じかもしれませんが)

だらだらと文章が続く記事ですので、読まれる方は承知の上お進みくださいm(_ _)m

今までの経歴を追いかける

学生時代

大学院修士(工学)まで進学し、無事に卒業しました。大学・大学院ともに情報系の学科にいたので、情報工学を広く浅く勉強していましたが、 研究では

  • 学士:複素解析(リーマン・ゼータの特殊値の計算)
  • 修士結び目理論(体積予想、Colored Jones多項式)

など、純粋数学をやってました。おそらく殆どの方は数学の世界に足を突っ込んだことがないとおもいますので、これらの名前を見ても「ふ〜ん」で終わりますよね😅(*1
 

進路については、大学院進学の頃から「博士課程進学」ではなく「企業就職」を決めていました。

もちろん自分は数学が好きではじめはこのまま数学の世界で生きていきたいとぼんやり思っていました。 数学の発表会に足を運んだり、色んな人にお話を伺い、だんだん進学の気持ちが固まってきていましたが、 一気に方向転換を決めたのは、同じ研究室の先輩(*2)の以下のお言葉を聞いて自分も衝撃を受けたからです。

確かに数学は楽しいが、この道では自分の人生が見えてしまった。

仮に先輩が数学の道に進んだとして、本当に先輩が見えた人生を歩まれたかは分かりませんが、 大筋は外れないと言うような事も仰っており、多分そうなんだろうなと思います。
 

この発言を聞いてから、改めて自分も人生を考え直し、企業就職に大きく方向転換しました。業界としてはIT業界一択で、ここ以外は考えていませんでした。 曲がりにも情報工学を学んだ身でもあるし、何より面白そう、楽しそう!という気持ちがとても強く、後悔しないためにもこの気持に正直に行こうと思っていました。

その他出来事)

  • 後の妻となる女性と交際開始
  • 母との死別
  • 上京も含めて引っ越し3回

就職活動

ぶっちゃけ殆ど覚えていません(笑)説明会は30社ほど、面接は10社ほどだったかと思います。内定は6月にいただきました。 ちなみに、書類選考による落選は1回だったと記憶しています。 「まぁ行けるだろう!」という今思えば無謀な考えのまま、誰にもレビューを受けずに提出していました。

というのも、自己PRの欄に書いた「学生の頃一番苦労したこと」はちょっと自信があり、それが功を奏したのだと思います。 何を書いたかというと、大学院進学の受験勉強について書きました。(ちょっと脱線します)
 

進学先の第一志望は東京工業大学(以下、東工大)に行こうと思っていました。(*3) 試験科目は数学・英語の2科目のみで、英語は辞書持ち込み可だったかと思います。

さすがに天下の東工大だけあって、自分のいた大学とは求める基礎知識の質も量も圧倒的に上でしたので、それはもう必死で勉強しました。 (ここがアピールポイントだったのですが)1日最低12時間の勉強を4ヶ月ちょっと 続けたんですね。

ちなみに結果は不合格だったのですが、この時の経験がとても大きく、自信にもつながりました。 あと、自分は数学が好きですが向いていないこともよ〜く分かりました(笑)
 

閑話休題
 

こんなことをエントリシートに書いたところ、書類専攻はほぼ通ったことから思うに、 おそらく多くの企業の人が新卒の私に対して見ていたのは、何かをやりきった、突き抜けた経験があるか?の一点だったのだと思います。

というのも、自分は情報系の大学を出ていながら、プログラミングなど殆どやらずに卒業しているため、入ってから苦労することになります。 それに耐えられるのか?が心配だったのでしょう。やる気だけあっても、入ってみるとすぐに辞めていく人も多い世の中ですしね。

自分が企業を選ぶ基準は、

  • 苦労させてもらえるか?
  • ベンチャー企業か?
  • 駆け上がるように成長できそうか?
  • 企業のビジョンは?
  • 社長の気持ちに共感できるか?

こんな感じだったかと思います。 この条件をクリアしている(と、当時は思っていた)企業にエントリーシートを提出し、面接もそれなりに頑張って、なんとか内定をいただけました。 自分は「最初に内定をいただいた企業に行こう」と決めていたので、思ったより早く就職活動は終了。 今やり直すなら、絶対にここで終了はしなかったと思います。(安易すぎだろ当時の自分よ…)

その他出来事)

  • 就職を気に引っ越し(大学の友人と3人暮らし)
  • 修論執筆、発表で死にそう
  • 無事大学院修了

1社目(新卒入社)

この会社(名前は伏せます *4)は、EC-CUBEのv2系を独自カスタマイズ・パッケージ化し、それをベースに受託でECサイトを作っている会社でした。利用技術はいわゆるLAMPです。途中から独自パッケージソフトと連携するPOSも開発し、小売業界のシステム化としての市場を獲得していましたね。

私はこの会社には2年8ヶ月ほど在籍していましたが、まぁ本当に苦労しました(笑) その分、本当に社会人としてもエンジニアとしても成長させていただきました。感謝もしています。

Linuxなにそれ?おいしいの?」状態の自分が、 ECサイトを1人で作ってリリースするくらいの技術(*5)は身につきましたし、 プロジェクト・マネージャーとして、書類関連も含めて、案件が着地するまでの全ての工程を経験することもできました。

良くも悪くもここでの経験が、今の自分の根幹を作っていますね。極論、明日この企業が倒産し無職になったとしても、 「すぐに次の職場見つけて仕事することは全然可能だわ」と感じれるようになったのは大きいです。あと、人間意外と死なないとも思いましたw(*6

転職してから、この時の苦労のうち一部を抜粋してLTしたくらいですw(以下、スライド)

speakerdeck.com

退職した理由などについても、以前退職エントリとしてブログに書いていますが、改めて書くと

  • 学べる技術が決まってきている
  • この会社か、同技術を使っている企業でしかやっていけないと感じた
  • 進む先がマネジメントのみで、技術に触れる機会がほぼなくなる
  • のし上がれたとしても、自分の意見は役員には通らなさそう
  • 昇給できなかった(*7

です。 年齢的にも移るなら今だ!と感じていたので、転職しました。

ちなみに、最後の挨拶回りを一応礼儀としてやったのですが、ここでどういう反応をもらえるかで、会社が社員をどれだけ大事にしているか がわかりますね。 (*8

その他出来事)

  • プロポーズ、両家顔合わせ、結婚
  • 独身最後に金を使い果たし、かみさんに怒られる
  • 今の家に引っ越し
  • 約8万円したGIANTのロードバイクを盗まれる(足立区怖い)

2社目

転職1回目は、レプラホーン株式会社という会社に行きました。 この会社でもメイン技術はLAMPで、基本的には受託でECサイトを中心としたWebアプリの保守・追加開発・新規立ち上げを担当。 サーバーサイドの開発がメインでしたが、約1年だけフロントエンドの仕事もさせて頂き、良い経験を得られました。

在籍は1年10ヶ月という短い期間でしたが、物凄く居心地が良く、自由に勉強させていただけました。1社目よりも、ここで学んだことの方が多かったですね。 社内勉強会(一部公開)も度々やりましたし、1度だけですが外部講師をお呼びし講演会を開催するなど、本当に自由に楽しくエンジニアライフを送らせていただきました。
 

転職の理由は、「会社の方向性の不透明過ぎる」のと、「社内エンジニアとの意識の差」です。 平たく言うと色々馬が合わなかったからと言えますね。

自分は技術が好きで、その好きな技術でどうやってビジネスに貢献するか、 技術と現実問題を組み合わせてどうビジネスを生み出していくか、などの議論がしたかった。 また、そのために新しい技術のキャッチアップをして、皆でエンジニアとしての価値を高めあって行きたかった。

しかし、社内では技術が好きなメンバーは少なく、株などでお金を稼ぐ話のほうが好きなメンバーが多かったので、 話が合わなかったんですよね。。。(お金儲けは全然良いことなんですが、会社として・エンジニアとしての稼ぎ方の話題がほぼ全く出ないのはちょっと…)

その他出来事)

  • 初めてのLT登壇
  • 初めてのセッション登壇
  • 妹の結婚、甥っ子誕生
  • MacBook Airを売却、MacBook Pro購入
  • エンジニアとして色々転機あり

3社目

現在在籍している、株式会社ゆめみに転職。元々モバイルに強く、ネイティブアプリ開発のノウハウは確かに溜まっていると思います。 全体的に技術が好きな人が多く、また自分よりも遥かに技術力が高い人が多く、とても刺激的な職場だなと。入社して半年経ちましたが、一気に過ぎ去った感じです。

自分は何をしているかというと、あるクライアント(めっっっさデカい会社さん)で使われているたくさんのAPIの追加開発・保守を担当しています。 言語はNode.jsです。 こちらのクライアントはマイクロサービス化を推し進めており、その分APIの数もちょっと多めです。 プロジェクト・開発チームそのものがだいぶ成熟しているにも関わらず、最新のツールを導入して色々自動化をすることもあり、 エンジニアとしてとても楽しいプロジェクトですね。

また、ゆめみはAPN (AWS Partner Network) の一員でもあり、 AWSについての知見はかなり多く溜まっていますし、AWSの最新情報のキャッチアップも結構早いです。 ゆめみに入るまでの自分は、ほとんどAWSに触れてきませんでした。(*9) ゆめみでは、常識の範囲内で自由にAWSを学べるSandboxアカウントを全員に用意されるため、AWSの勉強し放題です。(さすがに月数十万とか使うと怒られると思いますがw)

さらに、今までDockerから逃げていたのですが、今のプロジェクトの開発環境はほぼ全てDockerを使っているため、 本腰入れて勉強することにもなりました(笑)幸いにも会社から支給された端末がMacBook Proだったので、Docker for Macが使えるのでありがたい。 ちなみに以前まではVagrant + Virtualboxを使っていました。
 

※ 各企業の職場環境については、過去ブログにまとめてあるのでご参照ください。

改めて思うこと

これまで人並みには苦労してきたと思いますが、浅く広く力を着けてきた感が否めない。 大抵の業界に顔出しても、話はできるとは思いますが、議論するレベルにはなっていない。 つまり、エンジニアとしてはまだまだ未熟なんだと痛感しています。

また、これまでずっとサーバーサイドのお仕事ばっかりやってきましたが、自分がやりたいことはフロントエンドです。 プライベートでのOSS活動も9割がたフロントエンドのことですし、フロントの方が好きなんですよね。

しかし独学の域を出ないし、何より自分一人でしか何かを作っていないため、自分のスキルはかなり荒削りだと思います。 足らない知識もめっさ多いと思います。ので業務でしっかり経験を積んで力を着けたい。

現在、年齢も30歳をこえ、自分の人生設計を見つめ直す良いタイミングだったので考えていたのですが、

 技術を学ぶのはなんのため?エンジニアとして力をつけるのはなんのため?

という根本を忘れがちになっていることに気付いたため、今一度原点にかえろうと思います。 はじめは「楽しそう!」というだけでIT業界に足を踏み入れましたが、さすがに今はこの疑問の答えを持っています。 この原点を忘れず、これからのエンジニアライフを歩んでいきたいと思います。

終わりに

思えば、もう5年も経ったんだなと感慨深い面もあります。この5年間に色々ありすぎました。 上では書いていない出来事としては、こんなのもありました。

  • 国内旅行5回
  • 各種コミュニティスタッフになる
  • 勉強会登壇?回(数えてない)
  • ジョーカー1回(言えない)

今後も「転職」はする可能性は大いにありますし、もしかしたらフリーランスになるかもしれません。 現在副業もしており、色んな働き方を模索しているところです。どうなるかはまだ分かりませんし、どうしたいのかもまだ完全には決めていませんが、 自分らしくエンジニアを楽しめるように進んでいく所存ですので、これからも桑原をよろしくお願いします(*^^*)

では👍

*1:もし自分もその道にいたという方は、いつか私と数学の話で飲みましょうw

*2:既に卒業され、IT企業に就職

*3:ここでもいろいろエピソードはありますが、長くなるので聞きたい方は飲みましょう🍶

*4:私のブログを追いかけると名前出てきますので、ご興味ある方は探してください。

*5:パッケージソフトEC-CUBEなど)を使ったとしても

*6:稼働時間と残業代と休みについて語ると、結構驚かれますw

*7:これについては、お前の能力が低いからだろ?という意見もありますが、めっさ能力高い人でも全然上がっていなかったです。

*8:私がどういう反応を頂いたかはここでは書かないので、知りたい方は飲みましょう🍶

*9:1年間のみ無料で使えるEC2を触ったのみ